2018年7月21日土曜日

大企業と環境

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 22

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第4部将来に向けて 第15章大企業と環境-異なる条件、異なる資源は誰のものか?」の感想をメモします。

1 大企業と環境-異なる条件、異なる資源は誰のものか?
この章では次の項目に従い、筆者の体験を中心に大企業の環境破壊あるいは大企業の優れた環境対策について詳しく記述しています。日本語で読む大企業と環境に関する多くの文章とは一味も二味も異なる内容です。筆者のグローバルな体験が生み出したあるべき企業観は説得力のあるものです。
・ふたつの油田地帯
・石油会社による環境保護
・鉱業がもたらす環境破壊と汚染
・企業間で異なる環境への取り組み
・林業がかかえる問題
・森林管理協議会の成果
・遠洋漁業と環境問題
・企業と公共性-一般市民はどう関わる?

2 企業と公共性-一般市民はどう関わる? 要約
大企業の業務慣行のひとつに、少なくとも短期的には、環境を損ない、人々を傷つけることによって最大限の利益をあげるという原理がある。
しかし、これに対して当事者ではない一般人が非難の声をあげてもなかなか変化はうみだせない。
企業は株主に対して合法的な手段で最大限の利益をあげる義務を負っているいるからだ。
企業への非難は、人々に害を及ぼして企業利益をあげるような状況を作ったのが、突き詰めれば一般市民の責任だということを無視している。
持続不能な伐採で作られた木製品を買い続けたのは一般市民だ。
狂牛病対策を5年間渋ったアメリカ食肉業界は、ハンバーガーの売り上げが急落したマクドナルドの要求に対して数週間のうちに狂牛病対策を執った。
一般市民の務めは、供給チェーンの環の中で、大衆の圧力に敏感な環を探し当てることだ。そう、食肉業者や木材業者や金鉱会社ではなく、マクドナルドやホーム・デポやティファニーという環を。
読者のなかには、人々に害を及ぼす企業の慣行に対して、わたしが最終的な責任を一般市民に負わせることに、失望したり憤ったりする向きもあるだろう。わたしはさらに、企業が健全な環境対策を採ることによって生じる付加的な経費を、通常の価格構成要素のひとつとして、一般市民が負担するべきだとも思っている。この考えかたは、企業が利益のあるなしにかかわらず高潔な規範に従うべきだという社会倫理を無視しているように見えるかもしれない。わたしは、人類の歴史の全行程において、人が血縁や地縁を持たない他人と遭遇する政治的に複雑なすべての人間社会では、道徳的原理の強制が必要とされるというまさにその理由から、政府による規制が生まれたのだと考えたい。道徳的原理を錦の御旗にするのは、高潔な行動を引き出すために必要な第一歩ではあるが、それだけではじゅうぶんとは言えない。
 わたしにとって、どんな大企業の行動にも一般市民が最終的な責任を負うべきだという結論は、けっして重苦しいものではなく、むしろ前向きの希望に満ちたものだ。わたしの結論は、誰が正しくて誰が間違っているか、誰が廉直で誰が身勝手か、誰が善で誰が悪かという倫理的なものではない。わたしの結論は、過去の見聞に基づく予測だ。一般市民が企業に違う行動を期待し、要求したとき、自分たちの望む行動を採った企業に報奨を与え、望まない行動を採る企業に苦汁を飲ませたとき、企業は変わった。わたしは予測する。過去にそうだったのと同じように、未来においても、一般市民の姿勢の変化こそが、企業の環境に対する振る舞いの変化に必須の要素となることを。」ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、下)から引用

3 感想
「企業と公共性-一般市民はどう関わる?」の最後の引用文章はまさにその通りだと思います。自分たちの望む行動を採った企業に報奨を与え、望まない行動を採る企業に苦汁を飲ませる行動が必要です。

花見川風景 2018.07.21

 

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