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2016年2月15日月曜日

私の墨書土器類似活動

ブログ「花見川流域を歩く」で昨年から墨書土器の検討をしていますが、実現したいと考えていることを文字に書いて祈願するという墨書土器類似活動を自分自身も行っていることに気が付きましたのでメモしておきます。

次の絵は私のパソコンディスプレイの構成です。

私のパソコンディスプレイの構成

4ディスプレイのうち、第4番目に趣味活動項目を列挙したファイルを常時掲載しています。

ディスプレイにこのメモを常時掲載しておくことで、活動項目の全体像を見失わないようにしています。

趣味活動の効率化の仕掛であり、紙に書いたメモを机脇の壁に貼ったのと何ら変わりがない、誰でもしている行動です。

さて、墨書土器風習について考えているとき、この活動メモのディスプレイ常時掲載が墨書土器類似活動であることに気が付きました。

特定の神様に祈願していないので、その点は墨書土器風習と異なりますが、実現したい事柄(つまり活動項目)をディスプレイに書き込んで、いつもそのディスプレイと生活をともにしています。

墨書土器は身近なマイ食器である坏に祈願内容を書き込んで毎日の生活で使い、祈願の心を新たにしています。

文字を使って、実現したい内容を常時心に刻み込み、心をその実現に向かわせる方向に収れんしていくという心理的活動は全く一緒だと思います。

現代社会では、活動項目のメモを常時見えるようにすることを特別の行動として認識することはありませんが、初めて文字というものに触れた古代社会の庶民はその威力に大いに感動し、墨書土器活動を特別に意識して行っていたのだと思います。

歴史の中で、文字と無縁の世界から文字を自分が使う世界に人々が移動した時、その1回しか存在しない歴史的体験をした時、人々は文字の役割に大いに感動し、その感動が物(化石)として残ったのが墨書土器だと理解しています。


参考 白幡前遺跡出土墨書土器 饒

一般論的には食糧が豊かな状況を祈願した墨書土器ですが、出土状況場所等から、食糧倉庫管理警備隊がその職務遂行を祈願したものとして検討しました。

2015年7月2日木曜日

識字率指標としての墨書土器出土数

墨書土器出土数からその時代(8世紀~9世紀頃)の識字率分布を見ることができるのではないだろうかと考えています。

1 墨書土器出土数を指標とした識字率
次の表は千葉県古代遺跡における墨書土器出土数の上位50までを並べた表です。

千葉県墨書土器出土数上位遺跡リスト

このリストの分布図を作成すると次のようになります。

墨書土器出土数上位遺跡の分布
分布は正確にプロットしたものです。

この分布図を古代における住民の識字率分布に相関する情報として捉えることができるのではないかと考えます。

識字率分布そのものではありませんが、遺跡がプロットされた場所は他の場所より識字率が高かったと考えられます。

この分布図は上位50位までの情報ですが、情報を全遺跡に拡大して、数値を分級してプロットすることも可能です。

2 竪穴住居1軒当り墨書土器出土数を指標とした識字率
1軒の竪穴住居跡にある一定数の人口が存在したと想定すると、墨書土器出土数/竪穴住居跡数(墨書土器対対竪穴住居出土率(S))は人口当たり墨書土器出土数に見立てることができます。

単純な墨書土器出土数より、この指標の方が識字率の指標としてより適切であると感じます。

次の表は萱田遺跡群の遺跡ゾーン別の墨書土器出土数/竪穴住居跡数(墨書土器対対竪穴住居出土率(S))等の数値です。

萱田遺跡群の墨書土器対対竪穴住居出土率(S)と分級基準

この分級結果を北海道遺跡について示すと次の様になります。

ゾーン別墨書土器対竪穴住居出土率(S)

ゾーン別では詳細すぎますので、遺跡別に千葉県全古代遺跡の竪穴住居1軒当り墨書土器出土数を求め、それを分布図化すれば、古代の千葉県識字率分布により近い情報が得られると考えます。

3 出土土器100個当たり墨書土器出土数を指標とした識字率
遺跡における全墨書土器出土数/全出土土器数×100を求めれば、土器における墨書土器の%を求めることになります。

識字率が100%ならば、墨書土器の%は100になるという関係ではないですが、識字率が高ければ、墨書土器の%も高くなるという関係があると考えます。

次の表は「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅・都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)の中の竪穴住居別出土物一覧例です。

出土物一覧の例

このような復元土器単位の墨書存否情報があるのですから、出土土器100個当たり墨書土器出土数を求めることができます。

遺跡別に出土土器100個当たり墨書土器出土数を求める作業を行ない、その分布図を作成すれば、より正確な古代識字率分布情報を得ることができると考えます。

識字率分布情報が判れば、律令国家が人々を教育して高度な業務を実施した場所が判ることになります。

2015年6月21日日曜日

墨書土器の記号について考える

墨書土器の文字について自分なりに思考を積み重ねていますが、どう考えても記号のように感じてしまい、対応する漢字が無いものがあります。

発掘調査報告書の釈文でも「記号ヵ」などと記載しています。その記号の見かけを印刷物では外字作成で表現しているものがあり、データベースではその外字を表現できないので〓になっているもの多くあります。

外字をわざわざ作っているのは、同じものが沢山出土するためだと思います。萱田地区の別の遺跡から同じ記号が出ることも珍しくありません。

「千葉県の歴史 資料編 古代 別冊出土文字資料集成」で外字をつくっている記号につぎのようなものがあります。

萱田地区遺跡の墨書土器に現れる記号

こうした記号について思考してみましたので、メモしておいきます。

1 記号は複数出土し、なおかつ離れた場所からも出土するので、人々の活動の中で流行ったことは確実だと考えます。
個人が思いつきで書いたという1回性の作品ではなく、その記号に意味があり、名称があり、社会集団の中で使われたと考えます。

2 記号が単なる無機質な記号ではなく、意味や名称があって使われていたということは、執拗にかつ長期間にわたってその意味を考えていれば、いつかそのヒントを得ることができると考えます。

3 一般人を社会活動に動員するための手段として、教養のある官人が一般人に対して漢字(文字)を使ったという社会状況の中で、墨書土器というものが発生したと考えます。
つまり、官人が一般人に漢字(文字)を教えるという大局的社会プロセスの中で、墨書土器が生まれたと考えます。
ですから、文盲の人が文字をよく理解するまでの中間段階として、漢字を充分に理解しないで、漢字もどきの文字を使うという段階があったものと考えます。記号のほとんどは漢字もどきの文字であると考えます。記号と正式漢字は同じ次元で使われていたと考えます。

(記号を使った人・グループはその記号が正式漢字ではないと理解していたと考えますが、その記号を身内だけで通じる漢字として使い、文字を全く知らない完全文盲の人…例えば近くにいる奴婢や俘囚…と比べて心理的優位性を得ていたと考えます。)

4 遺跡内のあるゾーンにおいて、現代において記号としてしか認識できない漢字もどき文字の量が多ければ、そのゾーンには文盲段階と漢字理解段階の中間に位置する人が多かったと考えられます。

5 「記号(漢字もどき)史料数/全出土文字史料数」という指標をつくりゾーン比較をすれば、その指標の値が大きいゾーンは文字に関する教養の程度が低く、反対に指標の値が小さいゾーンは文字に関する教養の程度が高いということになります。
この指標が実現できれば、ゾーンの特性の一端を浮き彫りにすることができます。

予察的に検討してみたところ、白幡前遺跡の2Aゾーン(寺院と接待施設があり、人面墨書土器が出土し、ハマグリが多出するたゾーン)は「記号(漢字もどき)史料数/全出土文字史料数」の値が他のゾーンと比べて小さく、ゾーンの教養程度が高かったことが証明できそうだという感触を持つことができました。

「記号(漢字もどき)史料数/全出土文字史料数」という指標で遺跡間比較もできると考えます。

2015年6月16日火曜日

参考 千葉県の墨書土器出土数上位遺跡の確認

千葉県の墨書土器出土数上位遺跡を確認して、そのデータを使って今後のブログ(「花見川流域を歩く」本編)活動の方向を修正・調整するつもりです。

その確認作業で、新旧の墨書土器出土数上位遺跡リストを比較してみましたので、参考までに紹介します。

ブログ本編2015.05.03記事「千葉県における墨書土器出土件数上位25遺跡の把握」では1996年発行の図書「千葉県の歴史 資料編 古代 別冊 出土文字資料集成」(千葉県発行)に基づいて墨書土器出土数上位遺跡を抽出してリスト化しました。

その後メイン利用情報源を公開されている墨書土器データベースに切り替え、データベース情報に基づいて、墨書土器出土数上位遺跡をもとめてみました。

その双方のリストを対照し、その対応関係を図にしてみました。

墨書土器出土数上位遺跡リスト 1996年リスト及び2015年リスト
2015年リストには6月になってアップされた補遺1というデータベースも含めています。

1996年リストでは上位25遺跡を求めたのですが、偶然ですが、25位がちょうど100件出土でした。

2015年リストでは100件以上出土遺跡を求めてみました。
53遺跡が墨書土器出土数100件以上としてリストアップできました。
このうち、29遺跡が1996年リストには含まれていない、新たに登場した遺跡です。

この20年間における墨書土器出土量の急増に驚くばかりです。

以前書いた記事(ブログ本編2015.05.03記事「千葉県における墨書土器出土件数上位25遺跡の把握」)の内容は丸ごと改訂することが必要です。

2015年6月4日木曜日

全国 墨書土器出土件数ベスト20遺跡

「全国墨書・刻書土器データベース(CSVファイル) 明治大学日本古代研究所」には11万7千件のデータが収録されていますが、そのデータを使って遺跡毎に出土件数を集計してみました。

集計した結果により、上位20遺跡の表と分布図をつくってみました。

八千代市白幡前遺跡の墨書土器出土件数が全国的にみるとどのあたりにランクされるのか知りたかったので、集計したみたのです。

結果は次の通りです。

全国 墨書土器出土件数ベスト20遺跡 一覧表

集計では例えば「○○遺跡(第△次)」とか、「○○遺跡 △地区」などは「○○遺跡」に情報を統合しました。

全国 墨書土器出土件数ベスト20遺跡 分布図

八千代市白幡前遺跡は10位でした。

また、これまで、千葉県では白幡前遺跡が墨書土器出土数で第1位であると考えていましたが、そうではないことを確認できました。これまで千葉県内の墨書土器出土数の集計は「千葉県の歴史 資料編 古代 別冊出土文字資料集成」を用いていたのですが、この資料以降の発掘により鳴神山遺跡(印西市)、上谷遺跡(八千代市)の出土数が白幡前遺跡より凌駕したようです。

分布図を見ると、平城京から東北へ向かう太平洋岸ルートと日本海ルート沿いにほとんどの墨書土器出土件数ベスト20遺跡が分布しているように見えます。

白幡前遺跡を含む千葉県4遺跡の集中は、この付近が蝦夷戦争のおける重要な兵站基地地帯であったことを物語っていると考えます。

上吉田遺跡、矢玉遺跡(ともに会津若松市)は日本海ルートと山王遺跡(多賀城市)を結ぶ結節点にあるように感じます。

墨書土器は官人が組織活動を行った場所でひろめられた風習であり、今風に言えば自己啓発活動(やる気を起こす活動)の個人用ツールであったと考えます。

律令国家が蝦夷戦争に全力をあげていた頃、これらの20遺跡が全国的に見ても最も官人の組織活動が盛んであったと考えます。

組織活動とは兵士を募集し、訓練し、必要な食料・衣服・武器等を与えて戦地に輸送することを軸に、そのために必要な食料・軍需品生産、戦勝祈願、輸送活動などをイメージします。


……………………………………………………………………
【メモ】
個別遺跡毎の出土件数カウントをExcelのマクロで行いましたが、11万7千件全部を一緒に集計することはできませんでした。
メインメモリ(物理メモリ)は沢山残っているのですが、CPU使用率が100%に達した後、「リソースが足りません」になってしまいました。
結局ファイルを2分割して集計し、集計結果を集成して統計をとりました。

2015年5月25日月曜日

墨書土器データのヒートマップ作成

WEBサイト明治大学日本古代研究所からダウンロードした全国墨書・刻書土器データベース(csvファイル)をアドレスマッチングにより地図にプロットし、その情報にもとづいてカーネル密度推定(半径パラメータ20000m)によりヒートマップを作成してみました。

(ヒートマップ作成はQGISの機能を利用しました。アドレスマッチングは東京大学csvアドレスマッチングセンターの機能によりました。地図作成に係る各種調整は地図太郎PLUSの機能を利用しました。)

アドレスマッチングにより作成したプロット図は、一見もっともらしいのですが(「つくった」というレベルのプレゼンテーションならこれで十分ですが)、実はとても「不公平」なドット図です。

1遺跡から墨書土器が1点出土しても1ドットになります。一方、同じ大字に数か所の遺跡があって、それぞれから数百点の墨書土器が出土してもドットは1点です。

こうした「不正確性」(「不公平」)を除去するのにヒートマップは威力を発揮します。またヒートマップはアドレスマッチングによる位置の不正確性を除去するという効果もあります。(ブログ本編2014.09.09記事「遺跡分布ヒートマップ図の原理的有効性」参照)

1 全国対象ヒートマップの作成
墨書土器出土数の少ない北海道と沖縄を除いた全国のヒートマップを作成しました。

ヒートマップ作成に用いたドット図
画像としてのドット図は上で説明したように誤解を招くような側面をふくんでいます。
電子的なドット情報は約11万7千データあり、1ドットに千以上のデータが重なっているところもあります。

作成したヒートマップ
赤が墨書土器出土密度が最も高く、次いで白、青が最も低いことを示しています。

参考 ドット図とヒートマップのオーバーレイ図

2 本州主要部のヒートマップ図
1で作成した地図のうち本州主要部を拡大してみました。

ヒートマップ作成に用いたドット図

作成したヒートマップ

参考 ドット図とヒートマップのオーバーレイ図

これらの地図について詳しく検討することは、別の機会に行い本編ブログで記事にしたいと思っています。

ただ、関東平野の墨書土器出土高密度地域(赤のゾーン)が千葉(下総国)と群馬-埼玉-東京-神奈川の2箇所に分かれて分布していることに大いに興味が湧いたことをメモしておきます。

千葉(下総国)の赤ゾーンは名実ともに日本最大の墨書土器出土地であると考えます。

一方、群馬-埼玉-東京-神奈川に連担して拡がる赤ゾーンは関東西部山地の麓の山野辺の道沿い(東山道と東海道の連絡路沿い)であり、現代都市構造と大きく異なる古代の集落連担地構造が良く見えます。

この二つの赤ゾーンが律令国家初期の蝦夷戦争において果たした役割の違いや相互関係に興味が湧きます。

私にとって、関東平野の駅路網の意義を直感的に深めることができる情報となっています。

2015年5月11日月曜日

則天文字

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器の文字を検討していて、則天文字が含まれていることを知り、則天文字の概要について学習しました。

則天文字の概要(Wikipediaから引用)
武則天は中国史上ただ一人の女帝であり、今までの慣わしを何でも改めるのが好きな人物であった。彼女が変更しなかったのは服装ぐらいのもので、まず国号を唐から周に変えた。改元は頻繁であり、官職名も変えた。中でも有名なのは、新たに字を作ったことである。彼女は自らの思想と政治力によって、あたかも服を着替えるかのように簡単に文字を変更した。この文字は後世「則天文字」と呼ばれるようになった。
例えば「天」の文字は𠑺に改められた。これは「天」の字の篆書体である。もっとも、このように形を変えただけの文字は例外であり、ほとんどの文字は新たに作られたものである。
則天文字が何文字あるかはよく分かっておらず、12、16、17、18、19、21個の各説があり、すべての説の文字をあわせると30字前後になる。もっとも、印刷や手書きの都合で異体字となっているものもあり、現在のところは17個説が有力である。
則天文字が使われたのはわずか15年間であったが、従来の文字にも影響を与えた。文化財などに書かれた文字を見ていくと、武則天の前後の影響がよくわかる[1]。武則天が退位した705年3月3日[2]、復位した中宗は国号を唐に戻した。則天文字は公式には廃止され、私文書においてもだんだんと廃れていった。現在中国では全く使われていない。もっとも当時の武則天の威光は絶大だったようで、中国国外にまで伝わっている。また、昔からよく文字研究の対象になっている。

則天文字リスト

則天文字は、武則天が皇位に就いていた15年間(690年 - 705年)には中国で広く使用されており、それが遣唐使によって日本に伝えられ、8世紀から9世紀初頭ごろの八千代市白幡前遺跡の墨書土器の文字として使われたということは大変興味深いことです。

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器で使われた則天文字

墨書土器に則天文字が使われているということは、墨書土器をつくるという行為が民衆サイドから起こった行為ではなく、行政サイド、官人サイドから集落(兵站基地)に持ち込まれたという性格を物語っています。

最新外来知識である則天文字を使いたいという官人の心情は、現代一部中央官僚のなんでもカタカナ語で物事を表現したいという心情と共通します。

2015年5月1日金曜日

墨書土器検討のウォーミングアップ

ブログ本編で墨書土器の検討を予定しています。

そのウォーミングアップの意味で、また自分の息抜きを兼ねて(手作業は息抜きになります)、白幡前遺跡出土人面墨書土器の画像をいたずらしてみました。(この人面墨書土器の検討は本編で追って行います。墨書を書いた人は白幡前遺跡(集落)を来訪する中央貴族の接待係の人であったようです。)

画像をいじろうとするきっかけは人面墨書土器の写真を「千葉県の歴史 資料編 考古3(奈良・平安時代)」でみると、墨書の色が褪せているので、画像をいじって墨書のラインをより明瞭に見てみたいと思ったからです。

そこで、Photoshopを使って墨書のラインがより明瞭に見えるように数種の画像をつくってみました。

人面墨書土器画像の調整
1は「千葉県の歴史 資料編 考古3(奈良・平安時代)」からスキャンした未加工画像です。
2は1をトーンカーブで補正したものです。
3、4、5は2をさらに各種フィルターを通して加工した画像です。
6は1の反転ネガ画像をトーンカーブ補正したものです。

次に1~6を乗算モードでIllustrator上で重ね、重ね方を試行錯誤して試し、墨書のラインを最もわかりやすく表現すると考えられる画像を作り出しました。

次がその画像です。

墨書のラインが最も明瞭に見える画像
2と4の乗算による重ね合せ

次に、この画像を使って、墨書ラインをなぞってみました。

墨書ラインをなぞった画像

想像以上にみじめなできばえとなりました。(泣)

墨書土器の画像復元をするならば、筆と墨を使わなければその特徴を捉えることはできないということを思い知らされました。

次のスケッチは「八千代市の歴史 資料編 原始・古代・中世」(八千代市発行)掲載図です。

白幡前遺跡出土人面墨書土器のスケッチ
「八千代市の歴史 資料編 原始・古代・中世」(八千代市発行)より引用

専門家の仕事とはこのようなものです。

墨書のラインをなぞるような考えでスケッチするのではなく、その特徴を理解して、それを自分の筆で書きあげています。

似顔絵作成のプロと同じような作業をしていることが、自分のみじめな作業経験を通して、良くわかりました。

墨書土器の検討を本編で始めます。