次の絵は私のパソコンディスプレイの構成です。
私のパソコンディスプレイの構成
4ディスプレイのうち、第4番目に趣味活動項目を列挙したファイルを常時掲載しています。
ディスプレイにこのメモを常時掲載しておくことで、活動項目の全体像を見失わないようにしています。
趣味活動の効率化の仕掛であり、紙に書いたメモを机脇の壁に貼ったのと何ら変わりがない、誰でもしている行動です。
さて、墨書土器風習について考えているとき、この活動メモのディスプレイ常時掲載が墨書土器類似活動であることに気が付きました。
特定の神様に祈願していないので、その点は墨書土器風習と異なりますが、実現したい事柄(つまり活動項目)をディスプレイに書き込んで、いつもそのディスプレイと生活をともにしています。
墨書土器は身近なマイ食器である坏に祈願内容を書き込んで毎日の生活で使い、祈願の心を新たにしています。
文字を使って、実現したい内容を常時心に刻み込み、心をその実現に向かわせる方向に収れんしていくという心理的活動は全く一緒だと思います。
現代社会では、活動項目のメモを常時見えるようにすることを特別の行動として認識することはありませんが、初めて文字というものに触れた古代社会の庶民はその威力に大いに感動し、墨書土器活動を特別に意識して行っていたのだと思います。
歴史の中で、文字と無縁の世界から文字を自分が使う世界に人々が移動した時、その1回しか存在しない歴史的体験をした時、人々は文字の役割に大いに感動し、その感動が物(化石)として残ったのが墨書土器だと理解しています。
参考 白幡前遺跡出土墨書土器 饒
一般論的には食糧が豊かな状況を祈願した墨書土器ですが、出土状況場所等から、食糧倉庫管理警備隊がその職務遂行を祈願したものとして検討しました。
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