2018年1月24日水曜日

メモ QGIS 同一ポリゴンレイヤの多様な分類

考古歴史とか風景・地形などコンテンツそのものは興味の深さにもよりますが、極端にいえば何十年も覚えています。ブログによる趣味活動を始めてからのコンテンツ3000以上で全く失念したものは少ないと思います。
ところが、パソコン操作技術は1週間ですこし怪しくなり、2週間でかなり怪しく、1か月でほぼ忘れます。
おそらく無意識のどこかでパソコン操作技術を軽視しているのだと思います。
しかし、高度な、世間一般からみれば入門レベルですが、パソコン操作技術が無ければ趣味活動が成立しないので苦労しています。
そこで最近習熟したQGIS技術をメモしておき、後で忘れた時に思い出せるようにしておきます。

1 QGIS 同じポリゴンレイヤの多様な分類表示

QGIS 同じポリゴンレイヤの多様な分類表示
原ポリゴンレイヤをコピーして分類基準(1、2…など)となるcsvファイルをIDを使って結合すれば、多様な分類をいくらでもできます。
注意 レイヤの中のポリゴンをいじると(削除など)他のコピーレイヤにも全て影響が及びます。コピーレイヤは分類の見かけだけです。

2 ポリゴンファイルの作成と分類用csvファイルの結合方法

ポリゴンファイルの作成と分類用csvファイルの結合方法
分類用csvファイルをQGIS画面にドラッグ&ドロップする操作をいつも思い出せません。(以前使っていたGISソフト地図太郎プラスにはドラッグ&ドロップ操作がないため。)

参考 2017.08.18記事「パソコンソフト操作方法は1ヵ月で忘れる
参考 2017.06.24記事「QGISでポリゴンに数値を結合するためのcsvtファイル

2018年1月22日月曜日

古の人々-アナサジ族とその隣人たち

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 7

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第4章古の人々-アナサジ族とその隣人たち」の感想をメモします。

1 アナサジ遺跡の位置

アナサジ遺跡 ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

アナサジ遺跡(チャコ渓谷)

2 年代測定法
アメリカ南西部の考古学ではモリネズミの廃巣分析と年輪年代法で精度の高い年代測定が可能となりました。

3 農業戦略
アジアから来た狩猟採集民がアメリカ南西部に到達したのが紀元前11000年ごろで、その後栽培品種化したトウモロコシ、カボチャ、マメや家禽としてのシチメンチョウが流入しました。
降雨量が非常に少ない中で農業のための水を調達する方法が3つありました。
1 雨の多い高地で農業を行う
2 地下水位が地表近くにある場所で農業を行う(チャコ渓谷など)
3 灌漑施設をつくり農業を行う

1は高地では寒冷のリスクがあり、3の灌漑施設は増水時の破壊がアロヨと呼ばれる深い涸れ谷を形成するリスクがあり長続きしませんでした。
2は無難な戦略でしたが、恵に味を占めた人々は条件の悪い土地で農業を拡大し人口を増やしました。早魃が起こると維持できる数の2倍に人口が膨れ上がっていて、社会は突然崩壊しました。

4 チャコ渓谷アナサジ遺跡

プエブロ・ボニート空撮 ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

プエブロ・ボニート Google earth proによる立体表示

チャコのアナサジ社会は、600ごろから5世紀以上にわたって栄え、1150年から1200年のあいだのどこかの時点で姿を消しました。
当初は沖積層の地下水位の高さが、ともに氾濫原の農地を潤していたものと思われています。しかしアナサジの人々が灌漑のために水の流れを河床に向け始めた結果、流出雨水が川床に集中したこと、また、植生を除去して農地に変えたこと、このふたつが自然の営為と相まって、900年ごろには深いアロヨが形成され、水面が地表より低くなってしまって、もはや灌漑農業も、地下水を利用した農業も、アロヨがふたたび埋まるまでは不可能になりました。
また森林破壊もすすみました。
ところが作物の生産高が減り、木材供給が絶たれたにも関わらず、長距離に及ぶ供給網が整備され問題解決して人口が増え続けました。
しかし富裕層と下層の人々に社会が分かれ、最後には居住地内で戦闘が激化し、人肉食も行われました。
社会崩壊の決定的一撃となったのは年輪年代法で判明した1130年頃に始まった早魃だと判っています。
600年後にこの土地が牧羊民のナバホ族に領有されるまで無人の土地となりました。
ナバホ族は遺跡を築いたのが誰だかわからなかったので、「いにしえの人々」を意味するアナサジをいう名前をつけました。

なお、土壌調査などをもとにアナサジ族が遺跡を放棄した1300年頃のトウモロコシ収穫量を予測すると最盛期の1/3程度が見込め、400人くらいの人口は維持できたようですが、実際の人口はゼロとなりました。この状況を次のように説明しています。
「仲間のほとんどが去っていくなか、ロングハウス・ヴァレーのカイエンタ・アナサジ最後の四百人は、なぜこの地にとどまらなかったのか?…ニューヨークの住民のうち、自分の家族と友人の三分の二が餓死したり逃げ出したりして、地下鉄もタクシーももはや動かず、会社も商店も閉鎖されてしまったとき、街にとどまることを選ぶ人間が何人いるだろうか?」ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

5 持続可能性の問題
アメリカ南西部先史社会の崩壊について次のようにまとめています。
「遺棄の主因はこのように多様だが、つまるところ、すべては同一の根本的な難題に帰する。すなわち、脆弱で対処しにくい環境に住む人々は、〝短期的〟には見事な成果をもたらす理に適った解決策を採用するが、長期的に見た場合、そういう解決策は、外因性の環境変化や人為的な環境変化――文書に記された史実を持たず、考古学者もいない社会では、未然に防ぐことができなかった変化――に直面したとき、失敗するか、あるいは致命的な問題を生み出すことになる。ここでわたしが〝短期的〟と引用符付きで書いたのは、アナサジがチャコ峡谷でじつに600年もの歳月を生き延びたからだ。これは、1492年のコロンブス到着以来、新大陸のどの場所であれ、ヨーロッパ人が居住した期間よりかなり長い。アメリカ南西部のさまざまな先住民たちは、その存続中、五種にわたる経済の効率化を試していた(第4章「農業戦略」の項参照)。このなかで〝長期〟にわたって、例えば、少なくとも千年のあいだ持続可能なのはプエブロの土地利用法だけだとわかるまで、何世紀もの歳月が費やされている。このことを知れば、われわれ現代のアメリカ人も、自分自分たちが住む先進国の経済の持続可能性を過信する気にはなれないはずだ。ことに、チャコの社会が1110年から1120年に至る十年間に最盛期を迎えたのち、いかにあっけなく崩壊したか、また、その十年間を生きたチャコの人々にとって、崩壊のリスクがいかに蓋然性の低いものに見えたかを考えれば、なおさらだろう。」ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

また社会崩壊の5つの要因について次のようにまとめています。
「社会の崩壊を理解するために提起した5つの要因の枠組みのうち、アナサジの崩壊には四つの枠組みが関与している。まず、さまざまな型の人為的な環境侵害、ここでは特に森林破壊とアロヨの下方浸食がある。また、降雨と気温の面での気候変動もあり、その影響は、人為的な環境侵害の影響と相互に作用し合った。そして、友好的な集団との内部交易も、崩壊に至る過程に大きく関与している。異なるアナサジの集団は、互いに食物、木材、陶器、石、贅沢品などを供給し合って互いを支えながら、相互依存型の複雑な社会を構成していたが、同時に、その社会全体を崩壊の危機にさらしていた。宗教的要因と政治的要因は、複雑な社会を維持するのに不可欠な役割を果たしていたようだ。具体的には、物々交換の調整をすること、外郭集落の人々に動機付けを行ない、食物、木材、陶器などを政治と宗教の中心地に供給するよう促すこと。5つの要因のうち、ただひとつ、アナサジ崩壊に関与したという確証がないのは、外部の敵だ。アナサジ内部には、人口の増加と気候の悪化に伴う戦闘が確かにあったものの、アメリカ南西部の文明は、人口密度の高いほかの社会とのあいだに距離がありすぎて、深刻な脅威を覚えるほどの外敵は存在しなかったのだろう。」ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

6 感想
人口増加により居住地付近の環境資源を浪費しても供給網を築けば社会は継続発展しますが、どこかの時点で破たんする時が来るという話です。
またその破たんに気が付いた時は手遅れであるということです。
多くの古代文明や現代文明に当てはめて思考することができる汎用性のある崩壊モデルです。

アメリカ南西部は農業活動に失敗すると地形的にも(アロヨの発生)、土壌的にも復元不可能な荒廃を生み出します。
一方日本の場合、類似の環境資源破壊活動を行って社会が崩壊しても、長年月のうちには自然環境(森林など)が復元すると思われます。そのような違いが乾燥地域と湿潤温暖地域にはあると思います。

2018年1月19日金曜日

最後に生き残った人々-ピトケアン島とヘンダーソン島

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 6

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第3章最後に生き残った人々-ピトケアン島とヘンダーソン島」の感想をメモします。

1 ピトケアン島とヘンダーソン島の位置

ピトケアン諸島
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

ピトケアン島とヘンダーソン島及びマンガレヴァ島

2 人の入植による3島の顛末
人がはじめて3島に入植してからピトケアン島とヘンダーソン島で人が死に絶えるまでの顛末を考古学発掘情報をもとに記述しています。
あらすじは次のようなものです。
「何世紀も昔、ある肥沃な島[マンガレヴァ島]に移民がやってきた。その島は、無尽蔵の自然資源に恵まれているように見えた。産業に利用できる原材料のうち、足りないものはいくつかあったが、運のいいことに、ほかのもっと痩せた島々[ピトケアン島とヘンダーソン島]にその原材料があったので、海を渡って交易を行なえば、簡単に手に入れることができた。しばらくのあいだ、すべての島々が栄え、人の数も増えた。
しかし、やがてこの恵まれた島の人口が、豊富な資源でも支えきれない数にまでにまで膨れ上がってしまった。森林が切り倒されて土壌浸食が起こり、農業生産力が低下すると、もはや余剰の農産物を輸出することも、舟を製造することも、島民たちがまともに食べることすらもできなくなった。交易が衰退するにつれて、輸入していた原材料が不足し始める。内乱が広がり、地方の武将が次から次に入れ替わり、従来の政治制度が覆される。恵まれた島の飢えた大衆は、人肉食に依存して命をつないだ。その島[マンガレヴァ島]と海上交易を行なっていた島々[ピトケアン島とヘンダーソン島]の民は、さらに悲惨な運命に見舞われた。頼みの輸入品が断たれると、今度は自分たちの島の環境を荒らし始め、ついに生存者がひとりもいなくなるまで破壊し続けたのだ。」[島名]は引用者追記
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

3島の入植と交易は西暦1000年頃から1500年頃まで続き、その後母島であるマンガレヴァ島の人口増による環境破壊→衰退により交易が途絶え、生活道具のいくつかを交易に頼っていたピトケアン島とヘンダーソン島の住民が死滅したことを詳しく記述しています。

イギリス戦艦バウンティ号反乱者がピトケアン島に逃げ込んだ時(1790年)にはすでに島民はとっくの昔に死滅していました。

著者はこの事例を次のように結論付けています。
「ピトケアン島とヘンダーソン島は、交易相手の環境破壊のあおりを受ける形で崩壊した最も明確な事例だと言える。いわば、現代のグローバル化に伴ってすでに拡大しつつあるリスクの予告編だ。もちろん、ピトケアン島とヘンダーソン島自体の環境被害も崩壊の一因となってはいるが、今のところ、気候の変動や外敵がなんらかの作用を及ぼしたという証拠は見出されていない。」
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

3 感想
著者が念頭においていることはグローバル化の進んだ現代世界で、上記と同じようなシナリオの災厄が十分に起こり得るということです。そのような観点からも興味深い事例です。
一方、今自分が興味を持っている縄文社会の崩壊理由について、刺激を受けました。
無尽蔵の資源があると思っていたその資源を縄文人が使い果たした(破壊しつくした)可能性があるのかないのか知りたい気持ちになります。
縄文社会を記述した図書は全て縄文人がエコであり、自然を破壊しないで巧みに利用していて、悪いのは気温低下などの気候変動であると歩調を合わせています。
本当にそうであるのか、知りたいです。縄文人を美化しすぎているのではないだろうか?

学習を続けます。

2018年1月17日水曜日

イースターに黄昏が訪れるとき

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 5

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第2章イースターに黄昏が訪れるとき」の感想をメモします。

1 隔絶したイースター島の位置

太平洋・ピトケアン諸島・イースター島
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

ピトケアン諸島とイースター島の距離

イースター島

2 食料動物種の絶滅と森林破壊
この図書では、イースター島は西暦900年頃ポリネシア人が入る前は亜熱帯性雨林の島で、高さ30mを超える大木を含む森林がありましたが人が入ってから高木は全てなくなり、木でカヌーがつくれなくなったためイルカ漁などもできなくなり、食糧となる動物種は殆どすべて絶命した様子が花粉分析や貝塚の発掘調査結果に基づいて説明されています。
また12の氏族による巨大モアイ像設置競争が資源の枯渇により最後はモアイ像破壊競争になった様子も詳しく説明されています。食糧資源がなくなり人肉食も行われました。
1722年に初めてヨーロッパ人がイースター島を訪れた際には3mを超す樹木は1本も無くなっていました。
イースター島の人口は最盛期は15000人程度、ヨーロッパ人が訪れて人口半分の1500人を奴隷として南米に輸出したり、天然痘が蔓延した時期には100人台に減少したと書かれています。

3 森林破壊を促す9つの要素とイースター島の脆弱性
著者はイースター島がなぜこのような極端な森林破壊事例となったのか検討するために、次の9つの要素についてポリネシアの島々を検討して比較しています。

●森林破壊の激しさが増す要素
1 湿潤な島より、乾燥した島
2 赤道付近の温暖な島より、高緯度にある寒冷な島
3 新しい火山島より、古い火山島
4 火山灰が大気中を降下する島より、降下しない島
5 中央アジアの風送ダスト(黄砂)に近い島より、遠い島
6 マカテア(サンゴ礁起源の歩きにくい土地)のある島より、ない島
7 高い島より、低い島
8 近隣関係のある島より、隔絶した島
9 大きい島より、小さい島

これらの要素は次のような視点から説明されています。
1と2は森林の生育スピードに影響する気温と水
3は火山起源土壌養分の残存率
4と5は風によって運ばれてくる養分の量
6は人の活動を阻害する地表状態
7は上流から下流にもたらされる養分の量
8と9は人の森林破壊活動の集中のしやすさ

これらの変動要素に基づいて統計モデルを作って太平洋の島々を検討したところ、イースター島がもっとも森林破壊を招きやすい島の一つであることが予測され、実際に起こったことと合致しました。

このモデル検討から著者は次のように述べています。
要するに、イースター島の森林破壊が異常なほど激しく進行した理由とは、なにも島民たちがうわべだけ善良そうで中身は違ったとか、先見性がなかったとかいうことではない。むしろこの島民たちは、太平洋において、最も脆弱な環境の中で、最も高い森林破壊のリスクをかかえながら暮らすという悲運を背負った人々だった。

4 文明崩壊5つの要因からのチェック
イースター島の事例を文明崩壊5つの要因から次のようにチェックしています。

1 近隣の敵対集団からの攻撃…近隣世界から隔絶していて皆無。
2 近隣の友好集団からの支援の減少…近隣世界から隔絶していて皆無。
3 気候の変動…いまのところ証拠はない。
4 人為的な環境侵害…特に森林破壊と鳥類の殺傷
5 問題への社会の対応…環境侵害行為の背後にある政治・社会・宗教的要因。例えば、孤島という条件のせいで避難という形の移住が不可能だったこと、前述した諸々の理由から、住民の関心が石像の建設に集中していたこと、氏族及び首長同士の競争によって、より大型の石像が建造されるようになり、より多くの木材、縄、食糧が必要とされたことなど。

5 感想
著者はイースター島とグローバル化が進んだ現代世界との間に逃げる場所や助けをもとめる相手もいないという共通点があり、私たちの最悪のシナリオとして目に映ると述べています。
同時に、イースター島と同じ自滅の方向を強める危機要素があるとともに、有利に働く要素もあり、図書の最後で取り上げるとしています。
さらに読書を進め、多様な文明崩壊事例にふれたいと思います。


2018年1月15日月曜日

モンタナの大空の下

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 4

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第1章モンタナの大空の下」の感想をメモします。

1 モンタナの諸問題
現代アメリカのモンタナ州についてその素晴らしい風景の紹介と様々な社会問題、環境問題を詳しく紹介しています。
・富豪向けリゾート開発による地価の上昇と、地元農業の衰退
・鉱業が生み出す有毒廃棄物
・皆伐方式が生み出す森林破壊
・塩類による土地被害
・地球温暖化による水不足
・外来生物による被害
・貧困と富裕の分極化

モンタナ州 ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

ハミルトン付近の光景 Google earth proから引用

モンタナの問題は日本の中山間地によくある例とそっくりであるという感想を持ちました。

最初にモンタナの例を書いた理由を著者は次のように説明しています。
 社会の崩壊に関する書物の第1章にモンタナを取り上げるのは、当初、稚気に類する試みかとも思えた。モンタナに限らずアメリカ全体を見ても、差し迫った崩壊の危機にさらされているわけではない。しかし、どうかよく考えてみてほしい。モンタナ住民の収入の半分が、モンタナ州内の仕事から生み出されるのではなく、州外からモンタナに流入してくる金なのだ。例えば、連邦政府による移転給付(社会保障、高齢者医療保険、低所得者医療扶助、貧困対策など)や、州外での私的な蓄え(州外の年金、不動産利権からの収入、事業所得)など……。つまり、モンタナ自体の経済が、すでにモンタナのライフスタイルを支えるにはほど遠いところまで落ち込んでいるということだ。むしろモンタナのライフスタイルは、モンタナ以外のアメリカに支えられ、左右されている。もしモンタナが太平洋に浮かぶイースター島、それもヨーロッパ人到達以前、先住ポリネシア人時代のイースターのような孤島だったとしたら、現在ある先進国型の経済はすでに崩壊していただろうし、そもそも、そこまでの経済を発展させることもできなかっただろう。

 次によく考えてほしいのは、ここまで論じてきたモンタナの環境問題が深刻な状況にあるとはいえ、アメリカの他州の大半に比べれば、まだ切迫感が小さいということだ。他州はほぼ例外なくモンタナより人口密度が高く、人間による環境侵害も大きく、また、多くの州が、モンタナより脆弱な環境に囲まれている。アメリカ全体についていえば、不可欠な資源を他国からの輸入に頼り、経済、政治、軍備の各面でも他国と密接に関わっている。そんな国々の中には、アメリカよりもっと深刻な環境問題に悩む国々、アメリカよりさらに急激な衰退に向かっている国々もあるのだ。」ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

2 感想
最初に現実の社会・環境問題について認識を新たにして、それとの比較を踏まえて(比較して)過去現在の崩壊した社会の検討をするという算段です。
モンタナの例が日本と瓜二つであり、外国の例という感じ(一種の違和感)が全く生まれなかったので、吸い込まれるように本書に入ることができました。


2018年1月12日金曜日

Chrome拡張機能Earth View from Google EarthとGoogle earthとの連携

Chrome拡張機能にEarth View from Google Earthがあり、新しいタブを開くとき特徴的なGoogle earth画像がランダムに表示されます。

このEarth View from Google Earth画面の右下にある地名をクリックするとChromeにWEB版Google earthが立ち上がり、その場所を表示する機能が付加されていたことに気が付きましたのでメモしておきます。

Earth View from Google Earth画面

Earth View from Google Earth画面の地名をクリックした時立ち上がり表示される画面

上記画面を立体的に表示した画面

とても便利な機能で即座に写真を立体表示できます。

上記写真はコロラド川上流の鉱山の蒸発池です。
2015.09.27記事「Moab United States」参照

2018年1月9日火曜日

比較研究法

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 3

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)のプロローグで比較研究法の大切さについて述べていますので、抜粋してメモしておきます。

●比較研究法
本書では、比較研究法を用いて、環境問題を要因とする社会の崩壊について解析していく。前著『銃・病原菌・鉄』(草思社刊)では、正反対の問題を扱うのに比較研究法を用いた。過去一万三千年にわたる人間社会の発展の速度が、大陸によって異なっていたという問題だ。

今度は発展ではなく、崩壊に焦点を当て、環境面の脆さ、近隣社会との関係、政治制度、その他、社会の安定性に影響を及ぼすとされるいくつかの〝入力〟変数などについて、過去と現在の多くの社会を比較する。

検討すべき〝出力〟変数は、崩壊か存続かの二者択一と、崩壊が起こった場合の崩壊の形だ。
出力変数を入力変数と結びつけることで、可能な入力変数の崩壊への影響力を導き出す。

 太平洋上の島々の森林破壊を誘因とする崩壊に関しては、この研究法を的確に、包括的に、計量的に当てはめることが可能だ。先史時代の太平洋の人々は、自分たちの島の森林を、ほぼ無傷から壊滅状態までのさまざまな段階に破壊し、その結果、自分たちの社会に、長期存続から完全崩壊までのさまざまなシナリオを演じさせた。
太平洋上の八十一の島に対して、同僚バリー・ロレットとわたしは、森林破壊の度合を等級化し、さらに、森林破壊に影響を及ぼすとされる九つの入力変数(降雨量、地理的な隔絶度、地力の復元性など)の数値を等級化した。統計学的な分析によって、われわれは、ひとつひとつの入力変数が森林破壊の結果に占める相対的な威力を算出することができた。

もう一カ所、比較実験が可能な地域として、北大西洋が挙げられる。そこでは、中世ノルウェーのヴァイキングが六つの島もしくは陸塊に入植したが、その六つは、農業への適合性、ノルウェーとの交易の利便性、その他の入力変数がそれぞれに異なり、また、たどった結末も(すばやい撤退から、五百年後の全滅、千二百年以上にわたる繁栄まで)異なっている。さらには、世界の異なる地域にある社会同士を比較することも可能だろう。

特に、ひとつの社会の事例を一般化したり、一件の崩壊について説明することで満足したりするのは危険な姿勢だと言える。異なる結末への道を進んだ多数の社会を比較研究することで得られた証拠の土台がなければ、説得力のある結論へ到達することは望めないのだ。
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

●感想
世界の大小文明を俯瞰して比較しながらその衰退要因について考察するという比較研究法がこの図書の最大の魅力だと感じています。
この図書における比較研究法が、今興味を持っている縄文社会の衰退や奈良平安開発集落の崩壊の比較検討方法にどのように参考になるのか、興味が湧きます。

風景

2018年1月8日月曜日

QGIS点情報の経緯度取得方法

GE-Graphに必要なQGIS点情報の経緯度取得方法をメモしておきます。

QGIS点情報の経緯度取得方法

QGISの点情報レイヤーを右クリックして「名前をつけて保存する」→クリックして開く画面で形式を「カンマで区切られた直(csv)に設定すれば経緯度も一緒にアウトプットできます。

2018年1月6日土曜日

QGIS画面のgeotiffファイル出力とそのGoogle earth proへのプロット

QGISで多様なレイヤを合成してつくった画面をGoogle earth proへプロットしたいときがあります。
その方法をメモしておきます。(Google earthも同じ)

1 QGIS画面のgeotiffファイル出力方法
QGIS画面の画像出力はワールドファイル付のファイル出力しかできません。
ワンクリックでgeotiffファイル出力はできません。そこで次のような方法を執ります。

ア QGIS画面をワールドファイル付画像ファイルとして出力する。
イ そのワールドファイル付画像ファイルをQGISにラスタレイヤとして取り込む
ウ そのラスタレイヤをgeotiffファイルとして出力する。

2 geotiffファイルのGoogle earth proへのプロット方法
パスに日本語のあるフォルダーからはgeotiffファイルをGoogle earth proへプロットができません。
そこでgeotiffファイルをパスに日本語のないフォルダーに置き、そこからGoogle earth proへドラッグ&ドロップすればプロットできます。

QGIS画面例

QGIS画面をGoogle earth proにプロットした様子

2018年1月4日木曜日

新しいGoogleサイトの使い勝手の良さ

久しぶりにGoogleサイトを作ったのですが、「新しいgoogleサイト」にサイト作成方法がリニューアルしていました。
以前のgoogleサイトは自分がこれでよしと言えるようなデザインができないのですが、また操作も複雑でしたが無料であるので使っていました。数十のサイトは作ったと思います。
今回「新しいgoogleサイト」はデザインがシンプル化しています。自分が大きな変更と感じた点はサイドバーが無いことです。
サイドバーが無くなることで操作性が大変容易になりました。また見栄えも良くなりました。
さらにgoogledriveとの相性がきわめて良くなり、というよりもgoogledriveを前提としたサイトというべきかもしれません。
サイトの目的にもよると思いますが、私は「新しいgoogleサイト」が大いに気に入りました。
以前のgoogleサイトでホームページをつくるのは気が重たかったのですが、「新しいgoogleサイト」になっていて「ラッキー!」という気分です。
なお、以前のgoogleサイトは容量制限があったのですが、「新しいgoogleサイト」には容量制限はありません。(無料で配布されている15ギガの個人googledriveを利用しているようです。)「新しいgoogleサイト」も無料です。

新しいgoogleサイト画面例

新しいgoogleサイト画面例

以前のgoogleサイト画面例

以前のgoogleサイト画面例

2018年1月1日月曜日

2017年12月ブログ活動のふりかえり

ブログ「花見川流域を歩く」とそのファミリーブログの2017年12月活動をふりかえります。

1 ブログ「花見川流域を歩く」
12月は大膳野南貝塚後期集落の廃屋墓関連学習プロセス記事を21書きました。廃屋墓に関連する学習を深め、今後の大膳野南貝塚学習の方向が少し見えてきました。
12月31日に2017年活動をふりかえる記事を書きました。
記事数は全部で24です。

2 ブログ「花見川流域を歩く 番外編」
マニアックパソコンスキル記事など9記事を書きました。またジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」の学習を始めました。

3 ブログ「花見川流域を歩く 自然・風景編」
早朝散歩に関する29記事を書きました。

4 ブログ「世界の風景を楽しむ」
モロッコの記事など7記事を書きました。Geomorphology from spaceの学習を始めました。

5 12月活動の特徴
12月26日にブログ「芋づる式読書のメモ」を新たに開設しました。読書をしたらそのメモを書いておき、後で利用できるようにする目的で開設したものです
趣味活動の発展のためには知識増大が必要であると日頃感じていたことがこのブログ開設の背景にあります。
これで運用しているブログは全部で5つになりましたので、それらを統括するサイトがほしくなり、12月30日にサイト「考古と風景を楽しむ」を開設しました。サイト「考古と風景を楽しむ」は私の趣味活動のポータルサイトとして発展させる予定です。現在は5ブログの埋め込みだけです。

6 1月活動のイメージ
大膳野南貝塚学習を継続する予定です。後期集落の竪穴住居の分析を行い、はたして2つの集団(階層?)が共同しているのか否か突き止める予定です。
知識習得活動を習慣化するためにブログを利用します。
・花見川流域を歩く番外編…文明崩壊
・世界の風景を楽しむ…Geomorphology from space
・芋づる式読書のメモ…縄文時代史など
サイト「考古と風景を楽しむ」のコンテンツを継続的に増やして行きます。
1月15日にブログ「花見川流域を歩く」に2018年の趣味活動計画を書く予定です。

参考
ブログ「花見川流域を歩く」2017年12月記事
〇は閲覧が多いもの
ブログ「花見川流域を歩く 番外編」2017年12月記事
ブログ「花見川流域を歩く 自然・風景編」2017年12月記事
ブログ「世界の風景を楽しむ」2017年12月記事
ブログ「芋づる式読書のメモ」2017年12月記事
2018年1月1日 弁天橋の日の出 ウォーターカラー 強調