2018年2月28日水曜日

ノルウェー領グリーンランドの終焉

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 11

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第8章ノルウェー領グリーンランドの終焉」の感想をメモします。

1 ノルウェー領グリーンランドの入植地とイヌイットの拡大

ノルウェー領グリーンランドの入植地
西暦980年頃からノルウェー人の入植がはじまり、最盛期には人口は5000人となりましたが、15世紀頃には2つの入植地共に全人口が死滅しました。
ノルウェー領グリーンランドの歴史は約450年ですが、これは北米大陸でアメリカという英語圏の社会が存続している年数よりも長いことになります。

イヌイットの拡大 Wikipedia(英語版から引用、編集)
THULEの子孫がイヌイットです。
ノルウェー人はイヌイットの生活技術を学ぶことなく、従って豊富な食糧資源を利用することなく全員飢え死にしました。

参考 現代イヌイットの方言分布 Wikipediaから引用
現代イヌイットの分布を表します。

2 ノルウェー領グリーンランド終焉の理由
「ノルウェー領グリーンランドの終焉の究極の理由――ノルウェー人社会のゆるやかな衰退の根底にある長期的な要因は明らかなのだ。その理由は、すでに詳しく論じてきた五つの要素から成る。ノルウェー人たちによる環境侵害、気候変動、ノルウェー本国との友好的な接触の減少、イヌイットとの敵対的な接触の増大、ノルウェー人自身の保守的な世界観。
●要するに、ノルウェー人たちは、木を切ったり、表土を剝がしたり、牧草の量が追いつかないほどの家畜を飼ったり、土壌浸食を引き起こしたりすることで、自分たちの依存する環境資源を意図せずして損なってきた。入植が始まった時点ですでに、グリーンランドの天然資源は、しかるべき規模のヨーロッパ型牧畜社会をぎりぎり支えられる力しか持たなかったが、飼い葉の生産量は年によって著しく変動した。したがって、不調な年には、環境資源の枯渇が社会の存続を脅かしたことだろう。
●第二に、グリーンランドの氷床コアから計算した気候変動の概要によると、ノルウェー人の入植が始まったころの気候は比較的穏やか(今日と同程度)で、十四世紀に何度か、数年単位の寒冷な時期を経て、十五世紀初頭から小氷河時代と呼ばれる寒期に突入し、それが十九世紀まで続く。この気候のせいで飼い葉の生産量はさらに落ち込み、グリーンランドとノルウェーを結ぶ海路も氷でふさがれた。
●第三に、鉄、木材、文化的価値観などの貴重な供給源だったノルウェー本国との交易が間遠になり、やがてとだえた原因は、海面の氷結以外にもいくつかある。一三四九年から五〇年にかけての黒死病の流行で、ノルウェーの人口の約半分が死亡した。一三九七年、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの三国がひとりの王のもとに統合され、王は三地域のうち最も貧しいノルウェーを軽んじた。また、グリーンランドの主要な輸出品であるセイウチの牙の需要が、十字軍の遠征をきっかけにアジアや東アフリカの象牙がヨーロッパにふたたび入ってくるようになって落ち込んだ。地中海岸がアラブに制圧されているあいだ、象牙の交易は途絶えていたのだ。十五世紀に入ると、ヨーロッパでは、工芸品の材料としての牙の使用そのものが時代遅れになった。これらの変化によって、ノルウェー本国の資源が損なわれるとともに、グリーンランドへ船を出す動機も薄れた。このように、おもな交易相手が問題をかかえてしまったせいで自国の経済が危機にさらされるという経験をしたのは、ノルウェー領グリーンランドばかりではない。一九七三年に湾岸諸国が石油の禁輸措置をとったときの輸入国であるアメリカ、マンガレヴァ島の森林破壊の影響を受けたピトケアン島とヘンダーソン島など、類例は多い。
●最後に、イヌイットの定住。ノルウェー人はイヌイットに対して「悪しき態度」で臨み、敵対関係となり、イヌイットとの交易やイヌイットの舟や狩猟法を取り入れることはなかった。
●そして劇的な変化に対応できず、対応する気もないノルウェー人の気質を加えれば、グリーンランド入植地の消滅の裏にある究極の要因五点セットの完成だ。」
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から要約・引用

3 ノルウェー人の意思決定
四つの条件が、ノルウェー人の考えかたを方向づけている。
●第一に、グリーンランドの不安定な環境の中で生計を立てていくのは、現代の生態学者や農学者にとってさえむずかしい。ノルウェー人たちが気候の比較的穏やかな時期にグリーンランドに入植したのは、幸運であり、不運でもあった。その前の千年間をそこで過ごしていないのだから、寒暖の周期を経験したことがなく、寒冷期に入ると家畜の数を維持するのがむずかしくなることなど予測しようがなかった。二十世紀に入ってから、デンマーク人がヒツジとウシをグリーンランドに再導入したが、やはり失敗を免れず、ヒツジの頭数が多すぎて土壌浸食土壌浸食を引き起こし、ウシについては早々に飼育をあきらめた。現代グリーンランドは経済的に自足しておらず、デンマークからの対外援助と欧州連合からの漁業権料に大きく依存している。このように、今日の基準に照らしても、複雑な経済活動を展開して、四百五十年間も自足した生活を維持してきた中世ノルウェー人の営みは敬服すべきものであり、自滅志向とはほど遠い。

●第二に、ノルウェー人は頭を白紙の状態にして、つまり、グリーンランドの問題に虚心坦懐に取り組むつもりで新天地へ乗り込んだわけではない。歴史上のすべての入植者と同じく、ノルウェー本国やアイスランドで数世代にわたって培われた自分たちの知識、文化的価値観、生活様式の嗜好を胸に深く抱いてきたのだ。彼らは自分たちを、牧人であり、キリスト教徒であり、ヨーロッパ人であり、何よりノルウェー人であると考えていた。自分たちの祖先は三千年にわたって、豊かに牧畜を営んできた。言語と宗教と文化を本国と共有することで、彼らはノルウェーと結びついていた。アメリカ人やオーストラリア人が、何世紀にもわたってイギリスと結びついていたように……。グリーンランドの歴代司教は全員、本国から派遣されたノルウェー人で、グリーンランドで育ったノルウェー人ではなかった。その共有されたノルウェー人意識がなかったら、彼らはグリーンランドで力を合わせて生き延びることはできなかっただろう。そうやって考えてみると、純然たる経済的見地からはけっして最善のエネルギー利用とは言えないウシや北の狩場や教会に、彼らが資金と労力を投入したのもうなずける。グリーンランドでの難題を克服する力となった社会的結束が、一方では彼らの足を引っ張ったわけだ。これは、歴史の中で幾たびも繰り返されてきた普遍的なテーマだ。

●第三に、ノルウェー人たちは、ほかの中世ヨーロッパのキリスト教徒たちと同様、非ヨーロッパ人の異教徒を軽蔑し、そういう相手とうまく付き合うだけの経験を持たなかった。ヨーロッパ人がそういう差別意識を持ち続けながらも、自分たちの利益のために先住民を利用するすべを身につけたのは、一四九二年のコロンブスの航海に始まる探検の時代を経たあとのことだった。だから、この時代のノルウェー人はイヌイットから学ぶことを拒み、おそらくおそらく相手の憎悪をかき立てるような態度をとっていたのだろう。その後、北極圏において、多くのヨーロッパ人集団が、イヌイットを無視したり反感を買ったりして、同じように危険な目にあった。なかでも有名なのがイギリスのフランクリン探検隊で、一八四五年、イヌイットの住むカナダ北極圏地方を突っ切ろうとして、乗組員百三十八人全員が死亡した。ヨーロッパの探検家や入植者の中で、北極圏で最もめざましい成功を収めたのは、ロバート・ピアリーやロアル・アムンゼンのように、最も積極的にイヌイットのやりかたを採り入れた者たちだった。

●最後に、ノルウェー領グリーンランドでは、権力が最上層に、つまり首長や聖職者の手に集中していた。彼らが大半の土地(すべての優良な農場を含む)を所有し、舟を所有し、ヨーロッパとの交易を取り仕切った。彼らの指示指示で、その交易のかなりの部分が、彼らの威光を増す物品の輸入にあてられた。最も裕福な所帯のための贅沢品、聖職者のための祭服や貴金属、教会のための鐘やステンドグラスなどだ。数少ない舟は、輸入品を購うための高価な輸出品(牙やホッキョクグマの皮)の捕獲のため、北の狩場へ差し向けられた。首長たちはふたつの動機で、土地に害を及ぼすほどのヒツジの大群を飼育した。ひとつは、羊毛がグリーンランドの貴重な輸出物で、それによって輸入品が購われたこと。もうひとつは、ヒツジを飼うことで土地を損なわれた自営農民が、小作農に転じることを強いられ、それで首長の臣下が増えて、ほかの首長との競合に有利になることだ。ノルウェー人社会の物質的な状況を改善する策はいくらでもあった。例えば、鉄の輸入量を増やして、贅沢品を減らす。舟をマルクランドにも回して、鉄や木材を運んでくる。カヤックカヤックをまねたり、新しい形の舟を発明したりして、狩猟法に改良を加える、など……。しかし、それらの改善策は、首長の権力、特典、限られた利益を脅かしかねなかった。きびしく統制され、相互に依存し合うノルウェー領グリーンランドという社会では、首長たちは他の構成員がそういう改善を試みるのを妨げる立場にあった。


 このように、ノルウェー人社会の構造が、権力者の短期的な利益と社会全体の長期的な利益の相克を生み出した。首長と聖職者が重きを置いたものの多くが、やがて社会にとって有害であることがわかった。とはいえ、社会の価値観はその弱みの土台であると同時に、強みの土台でもある。ノルウェー領グリーンランドはヨーロッパ社会の特異な型を生み出すことに成功し、四百五十年ものあいだ、ヨーロッパの最も遠い前哨地として存続した。その年数は、北米大陸でアメリカという英語圏の社会が存続している年数より長いのだから、わたしたち現代のアメリカ人に、ノルウェー領グリーンランドの歴史を破綻の実例と決めつける資格はない。
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から要約・引用

4 感想
ノルウェー領グリーンランドの開花と終焉は人社会の発展と終焉の典型的モデルであると感じました。自然環境や地理的位置が不利であるだけに典型性が際立つような気がします。




1 件のコメント:

  1. 日本の山村、漁村の崩壊は悲惨……これは日本だけのことではなくて世界的な事なのでしょうか……

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