2015年11月21日土曜日

忘れてしまう素晴らしい思考結果

ブログ「花見川流域を歩く」はすでに記事数が1500を突破していて、テーマ分野も多様であり、また同種話題を繰り返し記事にしていることもあり、どんな記事を書いたか思い出せない状況になってきています。

ある話題の記事を書くとき、過去記事を検索してふりかえり、まったく同じ情報提示にならないようにしています。

そのように過去記事を読み返しているとき、素晴らしい記事つまり論理的で、新発見的で、次の展開に役立つような記事に出会うことがあります。

自分が確かに書いたのですが、あたかも他人様が書いた記事のように感じられます。初めて読んで感心するような気分になるときがあります。

とても不思議な感覚です。

このような、読み返すと他人様が書いた素晴らしい記事のような不思議な感覚がどうして生まれるのか、考えてみました。

そして、少しわかったような気がしますので、メモしておきます。

ブログ記事を書いたのはよいのですが、読み返してみて、内容がない、レベルが低い、最近の記事と重複していると感じるときがあります。

なんでもよいから記事を書けばよいということではブログ活動(趣味活動)が自滅しますから、時間の許す限り面白さが浮かび上がるように検討します。情報収集や分析をし直すこともあります。うんうん言いながら根詰めて思考します。

そのような時に、時として次元の違うようなひらめきが生まれることがあります。書こうとした趣旨と大幅に違ったり、正反対になることさえあります。

その場では、素晴らしい記事が出来たと考え、ぎりぎり締め切り時間に合わせるような忙しさでブログにアップします。

1件落着して、その素晴らしい記事は過去記事になり、自分の頭は次の記事の準備に入ります。

このような締め切り間際に無理やり頭脳から知恵を絞りだしたような記事が、どうも自分の記憶に残らないようです。

どんなに素晴らしい記事であっても、記事を書きだすときに予定になかった情報、趣旨が含まれていると、その内容が記憶に残りづらいという現象があるようです。

頭脳の中は意外と保守的で、一定の思考レールが敷かれていて、それと外れた思考で書いた記事は、無意識によってその存在が忘れさせられているのかもしれません。

花見川風景

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