ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 6
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第3章最後に生き残った人々-ピトケアン島とヘンダーソン島」の感想をメモします。
1 ピトケアン島とヘンダーソン島の位置
ピトケアン諸島
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用
ピトケアン島とヘンダーソン島及びマンガレヴァ島
2 人の入植による3島の顛末
人がはじめて3島に入植してからピトケアン島とヘンダーソン島で人が死に絶えるまでの顛末を考古学発掘情報をもとに記述しています。
あらすじは次のようなものです。
「何世紀も昔、ある肥沃な島[マンガレヴァ島]に移民がやってきた。その島は、無尽蔵の自然資源に恵まれているように見えた。産業に利用できる原材料のうち、足りないものはいくつかあったが、運のいいことに、ほかのもっと痩せた島々[ピトケアン島とヘンダーソン島]にその原材料があったので、海を渡って交易を行なえば、簡単に手に入れることができた。しばらくのあいだ、すべての島々が栄え、人の数も増えた。
しかし、やがてこの恵まれた島の人口が、豊富な資源でも支えきれない数にまでにまで膨れ上がってしまった。森林が切り倒されて土壌浸食が起こり、農業生産力が低下すると、もはや余剰の農産物を輸出することも、舟を製造することも、島民たちがまともに食べることすらもできなくなった。交易が衰退するにつれて、輸入していた原材料が不足し始める。内乱が広がり、地方の武将が次から次に入れ替わり、従来の政治制度が覆される。恵まれた島の飢えた大衆は、人肉食に依存して命をつないだ。その島[マンガレヴァ島]と海上交易を行なっていた島々[ピトケアン島とヘンダーソン島]の民は、さらに悲惨な運命に見舞われた。頼みの輸入品が断たれると、今度は自分たちの島の環境を荒らし始め、ついに生存者がひとりもいなくなるまで破壊し続けたのだ。」[島名]は引用者追記
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用
3島の入植と交易は西暦1000年頃から1500年頃まで続き、その後母島であるマンガレヴァ島の人口増による環境破壊→衰退により交易が途絶え、生活道具のいくつかを交易に頼っていたピトケアン島とヘンダーソン島の住民が死滅したことを詳しく記述しています。
イギリス戦艦バウンティ号反乱者がピトケアン島に逃げ込んだ時(1790年)にはすでに島民はとっくの昔に死滅していました。
著者はこの事例を次のように結論付けています。
「ピトケアン島とヘンダーソン島は、交易相手の環境破壊のあおりを受ける形で崩壊した最も明確な事例だと言える。いわば、現代のグローバル化に伴ってすでに拡大しつつあるリスクの予告編だ。もちろん、ピトケアン島とヘンダーソン島自体の環境被害も崩壊の一因となってはいるが、今のところ、気候の変動や外敵がなんらかの作用を及ぼしたという証拠は見出されていない。」
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用
3 感想
著者が念頭においていることはグローバル化の進んだ現代世界で、上記と同じようなシナリオの災厄が十分に起こり得るということです。そのような観点からも興味深い事例です。
一方、今自分が興味を持っている縄文社会の崩壊理由について、刺激を受けました。
無尽蔵の資源があると思っていたその資源を縄文人が使い果たした(破壊しつくした)可能性があるのかないのか知りたい気持ちになります。
縄文社会を記述した図書は全て縄文人がエコであり、自然を破壊しないで巧みに利用していて、悪いのは気温低下などの気候変動であると歩調を合わせています。
本当にそうであるのか、知りたいです。縄文人を美化しすぎているのではないだろうか?
学習を続けます。
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