2018年1月22日月曜日

古の人々-アナサジ族とその隣人たち

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 7

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第4章古の人々-アナサジ族とその隣人たち」の感想をメモします。

1 アナサジ遺跡の位置

アナサジ遺跡 ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

アナサジ遺跡(チャコ渓谷)

2 年代測定法
アメリカ南西部の考古学ではモリネズミの廃巣分析と年輪年代法で精度の高い年代測定が可能となりました。

3 農業戦略
アジアから来た狩猟採集民がアメリカ南西部に到達したのが紀元前11000年ごろで、その後栽培品種化したトウモロコシ、カボチャ、マメや家禽としてのシチメンチョウが流入しました。
降雨量が非常に少ない中で農業のための水を調達する方法が3つありました。
1 雨の多い高地で農業を行う
2 地下水位が地表近くにある場所で農業を行う(チャコ渓谷など)
3 灌漑施設をつくり農業を行う

1は高地では寒冷のリスクがあり、3の灌漑施設は増水時の破壊がアロヨと呼ばれる深い涸れ谷を形成するリスクがあり長続きしませんでした。
2は無難な戦略でしたが、恵に味を占めた人々は条件の悪い土地で農業を拡大し人口を増やしました。早魃が起こると維持できる数の2倍に人口が膨れ上がっていて、社会は突然崩壊しました。

4 チャコ渓谷アナサジ遺跡

プエブロ・ボニート空撮 ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

プエブロ・ボニート Google earth proによる立体表示

チャコのアナサジ社会は、600ごろから5世紀以上にわたって栄え、1150年から1200年のあいだのどこかの時点で姿を消しました。
当初は沖積層の地下水位の高さが、ともに氾濫原の農地を潤していたものと思われています。しかしアナサジの人々が灌漑のために水の流れを河床に向け始めた結果、流出雨水が川床に集中したこと、また、植生を除去して農地に変えたこと、このふたつが自然の営為と相まって、900年ごろには深いアロヨが形成され、水面が地表より低くなってしまって、もはや灌漑農業も、地下水を利用した農業も、アロヨがふたたび埋まるまでは不可能になりました。
また森林破壊もすすみました。
ところが作物の生産高が減り、木材供給が絶たれたにも関わらず、長距離に及ぶ供給網が整備され問題解決して人口が増え続けました。
しかし富裕層と下層の人々に社会が分かれ、最後には居住地内で戦闘が激化し、人肉食も行われました。
社会崩壊の決定的一撃となったのは年輪年代法で判明した1130年頃に始まった早魃だと判っています。
600年後にこの土地が牧羊民のナバホ族に領有されるまで無人の土地となりました。
ナバホ族は遺跡を築いたのが誰だかわからなかったので、「いにしえの人々」を意味するアナサジをいう名前をつけました。

なお、土壌調査などをもとにアナサジ族が遺跡を放棄した1300年頃のトウモロコシ収穫量を予測すると最盛期の1/3程度が見込め、400人くらいの人口は維持できたようですが、実際の人口はゼロとなりました。この状況を次のように説明しています。
「仲間のほとんどが去っていくなか、ロングハウス・ヴァレーのカイエンタ・アナサジ最後の四百人は、なぜこの地にとどまらなかったのか?…ニューヨークの住民のうち、自分の家族と友人の三分の二が餓死したり逃げ出したりして、地下鉄もタクシーももはや動かず、会社も商店も閉鎖されてしまったとき、街にとどまることを選ぶ人間が何人いるだろうか?」ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

5 持続可能性の問題
アメリカ南西部先史社会の崩壊について次のようにまとめています。
「遺棄の主因はこのように多様だが、つまるところ、すべては同一の根本的な難題に帰する。すなわち、脆弱で対処しにくい環境に住む人々は、〝短期的〟には見事な成果をもたらす理に適った解決策を採用するが、長期的に見た場合、そういう解決策は、外因性の環境変化や人為的な環境変化――文書に記された史実を持たず、考古学者もいない社会では、未然に防ぐことができなかった変化――に直面したとき、失敗するか、あるいは致命的な問題を生み出すことになる。ここでわたしが〝短期的〟と引用符付きで書いたのは、アナサジがチャコ峡谷でじつに600年もの歳月を生き延びたからだ。これは、1492年のコロンブス到着以来、新大陸のどの場所であれ、ヨーロッパ人が居住した期間よりかなり長い。アメリカ南西部のさまざまな先住民たちは、その存続中、五種にわたる経済の効率化を試していた(第4章「農業戦略」の項参照)。このなかで〝長期〟にわたって、例えば、少なくとも千年のあいだ持続可能なのはプエブロの土地利用法だけだとわかるまで、何世紀もの歳月が費やされている。このことを知れば、われわれ現代のアメリカ人も、自分自分たちが住む先進国の経済の持続可能性を過信する気にはなれないはずだ。ことに、チャコの社会が1110年から1120年に至る十年間に最盛期を迎えたのち、いかにあっけなく崩壊したか、また、その十年間を生きたチャコの人々にとって、崩壊のリスクがいかに蓋然性の低いものに見えたかを考えれば、なおさらだろう。」ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

また社会崩壊の5つの要因について次のようにまとめています。
「社会の崩壊を理解するために提起した5つの要因の枠組みのうち、アナサジの崩壊には四つの枠組みが関与している。まず、さまざまな型の人為的な環境侵害、ここでは特に森林破壊とアロヨの下方浸食がある。また、降雨と気温の面での気候変動もあり、その影響は、人為的な環境侵害の影響と相互に作用し合った。そして、友好的な集団との内部交易も、崩壊に至る過程に大きく関与している。異なるアナサジの集団は、互いに食物、木材、陶器、石、贅沢品などを供給し合って互いを支えながら、相互依存型の複雑な社会を構成していたが、同時に、その社会全体を崩壊の危機にさらしていた。宗教的要因と政治的要因は、複雑な社会を維持するのに不可欠な役割を果たしていたようだ。具体的には、物々交換の調整をすること、外郭集落の人々に動機付けを行ない、食物、木材、陶器などを政治と宗教の中心地に供給するよう促すこと。5つの要因のうち、ただひとつ、アナサジ崩壊に関与したという確証がないのは、外部の敵だ。アナサジ内部には、人口の増加と気候の悪化に伴う戦闘が確かにあったものの、アメリカ南西部の文明は、人口密度の高いほかの社会とのあいだに距離がありすぎて、深刻な脅威を覚えるほどの外敵は存在しなかったのだろう。」ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上)から引用

6 感想
人口増加により居住地付近の環境資源を浪費しても供給網を築けば社会は継続発展しますが、どこかの時点で破たんする時が来るという話です。
またその破たんに気が付いた時は手遅れであるということです。
多くの古代文明や現代文明に当てはめて思考することができる汎用性のある崩壊モデルです。

アメリカ南西部は農業活動に失敗すると地形的にも(アロヨの発生)、土壌的にも復元不可能な荒廃を生み出します。
一方日本の場合、類似の環境資源破壊活動を行って社会が崩壊しても、長年月のうちには自然環境(森林など)が復元すると思われます。そのような違いが乾燥地域と湿潤温暖地域にはあると思います。

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