ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 17
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第3部現代社会 第10章アフリカの人口危機-ルワンダの大量虐殺」の感想をメモします。
1 ルワンダの大虐殺
1994年にルワンダで50万人から100万人が虐殺されたジェノサイドが発生しました。「文明崩壊」では現代版社会崩壊の例としてこの大虐殺の経緯や実態およびその原因を詳しく分析しています。以下大虐殺が起こった理由説明の一部を引用します。
「●ルワンダの大虐殺
ここ数十年のあいだに、ルワンダとその隣国ブルンジは、わたしたちの頭の中で、ふたつの事象、つまり高人口と大量虐殺の同義語になってしまった。この二国の人口密度は、アフリカで最も高く、世界でも最も高い部類に入る。ルワンダの人口密度は、アフリカで三番目に人口密度の高い国(ナイジェリア)の三倍、隣国タンザニアの十倍にもなる。ルワンダにおける大量虐殺は、1950年以降に世界で起こった大量虐殺のなかで、三番目に多い死者数を出した。それを上回ったのは、1970年代のカンボジア及び1971年のバングラデシュ(当時の東パキスタン)における殺戮のみだ。ルワンダの総人口はバングラデシュの総人口の十分の一なので、人口に対する比率から見ると、ルワンダの大量虐殺の規模はバングラデシュをはるかに上回り、カンボジアに次いで第二位に相当する。ブルンジの大量虐殺はルワンダよりも小規模で、犠牲者数は〝ほんの〟数十万人だった。それでも、1950年以降に世界で起こった大量虐殺のなかでは、犠牲者数で第七位、人口に対する比率では第四位に位置づけられる。
●殺戮はなぜ起こったのか?
先の引用で、大量虐殺についてルワンダ人自身が語った言葉には驚かされた。人々が人口圧力と殺戮をこれほどあからさまに結びつけて認識するのは、ごく例外的なことだと考えていたからだ。今では、人口圧力、人為的な環境侵害、そして早魃を遠因と考えるようになった。これらは、人々を長期的な絶望状態へと追いやり、火薬樽の中の火薬のように働く。そして、もうひとつの必要条件は、近因、つまり火薬に火をつけるマッチだ。ルワンダの大部分の地域では、そのマッチは、権力の座に固執する疑り深い政治家たちにあおらあおられた民族間の憎悪だった(〝大部分の地域〟と言ったのは、カナマでのフツ族によるフツ族の大規模な殺戮が、同一の民族集団に属する人しか存在しないはずの場所で、似たような結末を例証しているからだ)。東アフリカの研究家であるフランス人、ジェラール・プルニエによれば、「殺戮の決断は、言うまでもなく、政治家が政治的な理由で下したのだ。しかし、それがなぜ、インゴ(家族用の複合住居)に住むごく平凡な農民たちによって、あれほど徹底的に行なわれたのか。少なくともその理由の一部は、あまりに小さい土地に、あまりに多くの人間がいるという逼迫感、そして頭数を減らすことで、生き残った者にはもっと多くが行き渡るという願望にある」という。
人口圧力は、ルワンダの大量虐殺に隠された重大な要因のひとつであり、マルサスの最悪の筋書きはときに現実となることもあって、ルワンダはその筋書きが実践されてしまった痛ましい事例なのかもしれない、というのがわたしの導き出した結論だ。人口過剰、環境侵害、気候変動などの深刻な問題が、永久に続くことはありえない。わたしたちがみずからの行動で解決に成功しなければ、ルワンダのような方法、もしくは自分たちの発案ではないその他の方法で、遅かれ早かれ、自然に解決へと向かうだろう。ルワンダの崩壊の場合、わたしたちは不愉快な解決策に訴えた人々とその動機を推定できる。上巻の第2部で解説したイースター島、マンガレヴァ、そしてマヤの崩壊においても、人々の顔を想像することはできないにせよ、同様の動機が働いたと考えていいだろう。ルワンダのごとく、潜在的な問題の解決に失敗したどこかの国々で、同様の動機が将来ふたたび働くかもしれない。それは、ルワンダでふたたび働く可能性もある。今日でも人口は年3パーセント増え続け、女性は15歳で第一子を産み、平均的な家庭は五人ないし八人の子どもをもうけ、観光客は子どもたちの大群に取り囲まれているような気分になるのだから。」ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、下)から引用
ルワンダの位置
2 感想
「人口過剰、環境侵害、気候変動などの深刻な問題が、永久に続くことはありえない。わたしたちがみずからの行動で解決に成功しなければ、ルワンダのような方法、もしくは自分たちの発案ではないその他の方法で、遅かれ早かれ、自然に解決へと向かうだろう。」という記述には重みを感じます。
現代地球社会が抱える矛盾、つまり数十億人の生活レベルを全て先進国並みにするだけの地球資源がなく、一方グローバル化で数十億人が先進国並み生活レベル向上を目指していて、その矛盾が数十年先には何らかの方法で解決せざるをえないこと、にも根本的問題意識を持ちます。破滅的解決か、知恵を絞った非破滅的解決か。
他方、考古世界に目を向けると、縄文社会の集落消長は自然の生産力に一方的に頼る生活の中で「自然に解決」された事例で、その実態がどのようなものであったのか詳しく知りたくなります。
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