2015年4月16日木曜日

千葉市内野第1遺跡 縄文時代遺構の土壙列に注目する

最近、ブログ「花見川流域を歩く」で千葉市内野第1遺跡の古墳時代の事象について検討しました。2015.04.08記事「千葉市内野第1遺跡古墳時代集落の消長について」等。

その記事を書いている時、千葉市内野第1遺跡の縄文時代遺構に規模の大きな土壙列があることを知り、強い興味を覚えました。

ブログ「花見川流域を歩く」では現在古墳時代と奈良平安時代を対象にして、花見川-平戸川筋の東海道水運支路(仮説)について検討しています。
そのため、縄文時代の記事を書くとブログ記事の歴史考古に関するシークエンスが散らかるような印象になります。
そこで、この番外編ブログで記事にして、後々にブログ「花見川流域を歩く」で縄文時代の本格的検討をする時の予行演習をしておくことにします。

1 土壙列の姿

土壙列の分布図

土壙の形状 例
「千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書 第Ⅰ分冊」(2001.3、株式会社野村不動産・財団法人千葉市文化財調査協会)より引用

報告書では次のような説明がされています。(要約)
1号土壙列(北側)は、標高30mから低地部分までの230mにわたって台地を横断する形で計36基が検出されている。さらに数基の存在が考えられる。住居跡等に切られている土壙がある。
2号土壙列は42基が標高20mのラインに沿って約200mに亘り弧状に分布する。住居跡に切られている土壙がある。
土壙は陥穴群と思われ、規模は長軸2m~3m、短軸1m~2m、深さ1~2mで、底面が細くなり断面がV字状をなすもので底面施設はない。土壙間の間隔は、3m~4mであるが、一部が欠落したり、間延びしている部分もあり、一定していない。構築時期については、住居跡との重複関係から古墳時代前期より古いと想定できるが、明確な時期決定はできない。

2 土壙列による狩対象と狩方法
内野第1遺跡の縄文時代以降からは多量の獣骨が出土しています。
報告書では骨の破片7776点を同定したところ、シカが破片数2071点で最も多く、次いで破片数626点のイノシシ類であったとしています。
従って、土壙列はシカを主なターゲットとした大規模な追い込み猟の施設であったことが考えられます。

以前ブログ「花見川流域を歩く」でカナダ原住民のHead-Smashed-In Buffalo Jamp(※)を紹介したことがありますが、狩猟対象こそ違え、その狩猟方法とこの内野第1遺跡落し穴猟はその大規模性が似ているかもしれないと直感し、興味を魅かれます。
※ ブログ「花見川流域を歩く」2014010.24記事「旧石器時代の狩方法」等多数記事参照

この土壙列を使った追い込み落し穴猟がどのようなものであるか、その大規模性、組織活動性に着目して、この番外編ブログで順次検討したいと思います。

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