図書は何度か処分したのですが、すぐに増えてしまい、最近そのスピードが少しづつ加速しています。
スペースには限りがあるから要注意だと意識はしていました。
昨日、柳田國男集第20巻が見つからなくなりました。
地名サクの意味が解けつつあり、自分レベルでは高度な思考になりますから、どうしてもこの図書を見たくなります。
書斎、書棚のある部屋、庭の書庫の3カ所を結局2回廻りました。
ありません。ないはずがないのです。
第20巻以外は全部そろっているのですが。
時間ばかり過ぎてゆきます。
いつもなら、時間の無駄と考えるのですが、今回は思考内容の重要性が高いので諦められません。
机に座って、お茶を飲み、諦めかけて、何気なく机背後の書棚をふりかえると、・・・・なんと目の前に探していた本があります。
何回も探した書棚です。
自分の意識と視野が超狭窄状態になっていたことに気が付いて、我に返りました。
ブログ花見川流域を歩く本編の2016.05.25記事「台地開析谷を表現する地名サクの語源」における思考は自分レベルでは高級なものです。
思考が高級になったので、一種の興奮状態になり、目の前の物も見えなくなってしまったのです。
過去の体験からも、思考のレベルが高級になり、資料閲覧の必要性が増せば、その資料を長時間かけて同じ場所を何度も探すようなはめになります。
今後、図書の整理には取り組み、図書を探し回るような乱雑な環境はなくしたいとは思います。
しかし逆に考えると、諦めずに資料を繰り返し探すという場面は、その資料を利用して考察しようという思考が重大事になっていることを示しています。
多くの場合、資料探しに費やしたエネルギー以上の思考上の成果(自己満足的成果)が得られることが期待できます。
資料探しは吉兆だと思います。
やっと見つかった柳田國男集第20巻
この図書を探している最中に、参考になりそうな、興味の湧く図書をかなり見つけました。
図書探しの副産物です。
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